他の場所にある女堀について
                                                                                                        
 
 さて「女」という文字であるがこれを託した地名は県内に
女屋、女淵、女塚等があるが「女堀」の名称を有する用水又
は遺構か存在している。この事は生別に渡辺先生に指摘せら
れたので調査してみた。
(1)群馬郡総社町
 駒寄村三之宮神社の前(字溝祭)から続く低い地域から起
り総社二子山古墳の南から大屋敷の東にかけて南北に伸びて
いる帯状の低い畑が存在し工地では女堀と称していたと伝え
られる。現在は耕地整利などでその痕跡ほ全ぐ見当らない。
この溝跡は利根川東岸の前橋市天川原町へ続くという説もあ
り前橋風土記にも記載さている。(「群馬郡総社町町誌」町
誌編纂委員会 「女堀并総社二子山古墳」大塚十一郎)
(2)埼玉県児玉郡北掘村、
 神流川より分水する児玉郡下の大灌漑用水九郷用水の末流
の放水路をこの北掘地先では女掘と称している。ここでは<
女がかんざし>で掘つたという伝説を有しており水は身馴川
に落ちている。(雑誌「上毛及上毛人 児玉郡々志料視察雑
記」(一)岩沢正作)
(3)佐波都宮郷村上之宮
 利根川端から名和村柴の方向に向けて存在した。<天明の
浅間の爆発の時畠に降った軽石等この溝に埋めたため溝は消
滅した>と伝えられる。((3)〜(5)までは渡辺敦先生
からお聞きしました。)
(4)佐波郡三郷村西太田
(5)伊勢崎市茂呂 剛志村上武士
 等の土地が存在するが今後精査の必要がある。(以上、
文章構成及び注番号等一部改変)
『伊勢崎史話』第2卷所収(第7号 通算17号) 峰岸純夫「赤城南麓灌漑用水 「遺構『女堀』について−『女堀』の概略」−」162頁